長編ストーリーをどこから始めるか

「面白いところから始めればよい」で終わりなのだが、面白さには「わかりやすさ」も含まれている。

しかしわかりやすいからと言って、面白くなければ続きを読んでもらえない。ストーリーをどこから始めるかは、ストーリー構成で頭を悩ませることの多い問題だ。


「部活もの」ならば十中八九は主人公が入部する前後から始まる。「ファーストシーンはどうすべきか」という問題はあるが、入部前後から書き始めて大失敗、ということはまずありえない。そういう、あまり冒頭で悩みようのないジャンルもある。

しかし舞台やキャラ立てが自由な「推理もの」や「SF」や「ファンタジー」「歴史もの」などのジャンルは、自由度の高さゆえに構成が難しくなる。ここではそんな、スタート時点を間違えると大失敗になってしまう、連載ネームがいつまでも通らなくなってしまうような作品を考えたい。

小池一夫先生の「銀座の繁華街を裸の女を走ってるような冒頭にしろ」と言う教えがあるが、実際にそこまでえげつない冒頭になっているヒット作は少ない。

例えば「ビブリア古書堂の事件手帖」は推理もので、派手な事件が起こるところから始まればいいようなものであるが、主人公の記憶にまつわるごく小さな事件から始まっている。

音楽では盛り上がっているところからスタートする曲を頭サビというが、頭サビも蔓延しすぎてヒットの常道ではなくなってしまったのだ。冒頭が盛り上がっていることはたしかにとても重要なファクターだが、事態はもっと複雑になっている。

荒木飛呂彦の漫画術」で荒木先生が言うように、作品はキャラ・ストーリー・世界観と、それを包括するテーマでできている。

思うにすぐれた作品は、第1話からそのすべてが描かれている。キャラ立ちがなにより重要だとする場合が多いが、それは必須事項として、実際のヒット作品には世界観の描写にぜいたくにコマが割かれていることが多い。学園ラブコメのような定番のジャンルでは世界観の描写を省略できるが、自由度の高い作品ではそこを省くべきではない。

もちろんストーリーも必要だ。外的なできごとだけでなく、主人公の内的な葛藤も描かれたドラマが成立するところからスタートしていなければならないだろう。作品を方向づけるテーマも打ち出せているか確認したい。やることがととても多いので、整理したくなる。

  • キャラ:冒頭では読者のアバターとしての側面が強い。面白いに越したことはないが、少なくとも読み手に共感できる要素があると読みやすくなる。
  • ストーリー:ドラマを成立させる流れとして必要。起承転結とどんでん返しくらいはクリアしておかないと、つづきの面白さが保証されない。
  • 世界観:時代背景だけでなく、その世界の常識や普遍的なルールが提示されているとわかりやすくなる。
  • テーマ:作品の方向性や読者対象がわかり、読みやすくなる。また作品世界に浸ることは、読み手の基本的な欲求でもある。
    • テーマに関連するが、強い問いかけや謎を提示することで、興味を持続させることができる。設定が多すぎて冒頭で説明しきれないとき、とりあえず強烈なテーマや謎を提示しておいて、その他の描写は待ってもらうという手法がある。

整理してみると、どれも面白さや読みやすさにつながるファクターなのだとわかる。しかし連載をする長編作品ではさらにもうひとつ、冒頭で提示すべき情報がある。


それはどんなジャンルの、どんなお約束の作品なのかということだ。これがわからないと、売り出し方がわからなくて出版社が困ってしまう。「とにかく読めば面白い」なんて広告はなかなか打てないからだ。そしてだれも読まないので、売れない。

すでに人気を獲得している漫画家や、とても費用に余裕のある自費出版の場合などは、気にしなくていいだろう。しかし多くの場合、話の冒頭はパッケージ見本になっていなければならない。1巻全体もパッケージ見本としての側面が強いが、1話はとくにそうだ。いろいろと制約があるものである。

けれどこれだけ制約があるので、逆に自由度の高い作品でも冒頭部分を見つけやすくなる。こういう順で考えてみよう。


まず起承転結のある面白い話から始める。そうしないと、続きの面白さが担保されないからだ。大事なことは、過去の回想ではなく本編から始めることだ。そこではこれから繰り返される「お約束」が守られる。例えば「主人公に少し恋愛の進展があってドキドキする」とか、「名探偵が事件をすっきり解決する」といったお約束だ。これが描けていれば、作品ジャンルはおのずとわかってくるし、商品化に困ることはない。どんなに設定が複雑でも、碇シンジエヴァンゲリオンに乗って敵を倒すエピソードから始めるべきだ。その話が連載1話のページ数におさまらなくてもいいので、とにかく「その時点」からスタートすることを考える。お約束が果たされるまで、最初のエピソードが終わったように見えてはいけないということでもある。

基本的なレギュラーキャラはその最初のエピソードの中にすべて登場しているのが望ましい。そのドラマを展開するのに最低限必要なキャラクターであるはずだからだ。曲に新しい楽器が登場するのは新しい主題が始まるときであるように、あとから出てくるキャラクターは作品の主題の変化をともなう。主題の変化とともに登場する予定であれば、最初のエピソードにいなくても問題ない。例えば最初、恋に落ちる男女の高校生がでてきて、最初はふたりの関係が主題だったが、その恋愛の社会性を問う主題に変わってくる2巻あたりでクラスメートが出てくるのはアリだ。新キャラをあとから出すと自然と話の主題が変わってきてしまう点には注意しておきたい。

先ほど書いたように、背景描写はしっかりしていたほうがいい。ジャンルにもよるが、セリフのない背景だけのページがあるくらいの度胸がほしい。つい考えたストーリーの起承転結を見せたくなるが、読み手はまず現実を離れて作品世界にどっぷり浸りたいのだ。背景描写で語られれる作品のムードやルールやテンポは、作品の面白さに寄与してくる。

話の設定は読み手の生理的な限界があるので説明できないことが出てくる。これは、説明を絞る・絵で見せる・後回しにするといった手練手管で乗り切るしかない。とても苦しい作業なので、つい「説明しやすいところから話を始め」たくなるが、そうすべきでないのは上に書いたとおりだ。作品の方向性を打ち出すほうが、わかりやすさにおいて重要なのだ。

そして作品テーマや問いかけが出ていると、上記の描写を読み手に少し待ってもらうことができる。じつは1話で一番必要なことはこれかもしれない。テーマと関連するが、「なるほどこの作品はそういう趣向か」と読み手をニヤリとさせることができれば、ほかは何もわからなくても2話めに進んでもらえる。


さて連載1話のページ数で最初のエピソードが終わらない場合、ストーリー的には興味をひくところまで描いて終わりにするかないが、それまでに最低限なにを描いておくべきなのだろうか? じつはストーリー以外のすべてが、描かれている必要がある。キャラも世界観もテーマもお約束もだ。

最初のドラマエピソードが終わらないとどんなキャラなのか伝わらないわけだが、せめてキャラの美学やこだわりが描かれているとうまくいくようだ。

世界観は描けるだけでいいが、無理にでもたっぷりめにコマ数を確保しておいたほうがいい。それが構成というものだ。

テーマや問いかけ、作品の趣向はとても重要だ。これが伝わらないと興味が湧かないだけでなく、読み手は無意識に作品のメタなメッセージを読み取ろうとし続け、ページをめくる手が重くなる。そしてイライラして作品を放り出し、途中までしか読まなかったつまらない話という感想になる。モノローグで「人生で本当に大事なことってなんだろう」みたいなメタなメッセージを直接問いかけるのはとても陳腐なやり方だが、読み手になにも刺さらないよりはマシだと思う。

「お約束」は、読み手がそれに気づくまでやる。「これはアレに似た話だな」と、思ってもらえればいい。まどか☆マギカのように後で裏切る場合でも、これは「魔法少女もの」だと思わせていなければならない。なんらかの手段で。

以上、自分用メモ。

ニュートラルでいること

前に声優の若本規夫さんがラジオで言っていたのだけれど、今から演技をしようと思ってハイ、スタートで入るというのは、よくないらしい。
自分から役へと、すべてを急に切り替えるのではなく、そのまえから、ふだんの自分の中からだんだんその役を表に出していくべきだというようなことだった。
だから普段の自分は、いろんな役になれるニュートラルな存在でなければいけない。日常からニュートラルでいることが役作りの基本姿勢だということなのだろう。


漫画描きもそういう面があると思う。ふだんから実の人生に100%向き合っておいて、机に座ったとたんに「さあ漫画家モードだ」というのはちょっと無理がある。
ふだんの生活からもうひとつの別の世界を生きているような、ニュートラルな存在であるほうがいいだろう。
そういう人はどんな行動を取るだろうか。日常からちょっと斜に構えていたり、屈折したものの見方をしたり、妄想に逃避したりするのではないだろうか。


いくつもの役を同時並行でこなす声優さんほどニュートラルでなくてよいかもしれないが、心しておきたい。

群像劇に関するメモ

群像劇、を分かりやすくする仕組みを、昔、舞台でアイドル20人近く同時に出る脚本を書いている脚本家の麻草さん(id:screammachine)から聞いたのですが、ある物語、キャラクターを作ったら、その変奏である物語やキャラクターを配置すると、まとまりが出る。同じ話の、ちょっとしたバリエーション違いを、それぞれの人間が演じている、ほんのちょっとの差異が別の物語の結末を生んで、それが、群像劇になる、というような話をきいたような聞いてないような気がします。(うろ覚え)

鉄血のオルフェンズやっと全部見た。 - orangestarの雑記

音楽的な発想で参考になる。キャラが変わるのは楽器や主題が変わるようなものか。
たぶん、よほどのことがないかぎり作品全体のテーゼとアンチテーゼは変えないほうがいい。
できごととキャラを変えつつ同じような葛藤に追い込もうとすればよさそう。

「人のマネから入れ」という意見

漫画に限らないが、よく初心者に対して「人のマネから入れ」というアドバイスがある。

だいたい以下のような考えに基づくと思う。

  • 娯楽において真のオリジナリティーなどはそうそうあるものではない
  • 自分が信じている天性のオリジナリティーなどたいしたものでははない
  • 型を手に入れることで、はじめて天性の素質が開花する
  • とにかく作品を描き上げることが大事だ
  • すでにある漫画技術を受け継ぐほうが、早くいいものが作れる

否定はしない。僕は描く前に比べると、漫画論や映画論の本をほんとうに多く読むようになった。人の語る漫画技術の話や、制作の体験談もよく耳を傾ける。人のマネをして自作に取り入れる能力も前より高くなったと思う。

だから否定はしないが、絶対的な意見でもないと思う。

自分自身、描き始める以前はこういう他人のアドバイスが耳に入るのを嫌っていたし、人のいいところを分析して取り入れようともしていなかった。

それは自分の天性の才能が汚されるというようなことではなかった。自分が人生において果たすべきミッション、使命がわからなかったのだ。自分の使命でないことを始めたくなかった。だから漫画を描き出すということからまず、なにをどう描けばいいのかピントが合わなかった。

使命など思い込みである。モラトリアム期を脱して老化し、頭が固くなることだとも言える。しかしそうした狂信こそが作家のすごみであり、使命があるとわかればなにを描けばいいのかおのずと決まる。どんなアドバイスでも耳に入れて、作品を高めずにはいられなくなる。すべてが変わる。

人のマネをしたくない、自分のオリジナリティーを見つけたいという人はまだ、人生の使命を探しているのだ。漫画を描いたり人を楽しませること自体が使命ならばすぐにペンを取れるが、創作というものはしばしばそう都合のいい才能によって作られていない。もっと混沌とした鬱積が、明らかなミッションとなるまでに時間を必要とする。

漫画が描ける自由な時期を失い、タイムアウトになることもあるだろう。ようはなにかを強烈に好きになったり、ほかの可能性を捨てきることができればいいのだが、それは意図的にできるようなものでもない。そもそも描くべきかどうかもわからないのだ。

「人のマネから入れ」は、すでにそうした迷いを抜けつつある、もしくは初めから漫画を描くこと自体が使命となっている人向けのアドバイスであると思う。またそういうアドバイスを送る側が、そのことに自覚的でない場合が多いように思う。

マネから入れと言う前に「漫画を描く以外の体験から、自分の使命を見つけるほうが先だ」というアドバイスを送るべきときもある。べつに漫画を描けないまま死んだっていいのだ。

世界観を提示する1ページ目のメモ

(ポスト)アポカリプス物

近未来もの

それ以外

  • ONE PIECE
    • 処刑台。独特な長剣の軍人と黒髪の海賊(やや近代的な衣装)。西洋ファンタジー風建築物と民衆。
    • 海賊王、財宝、大海賊時代
  • ダンジョン飯
    • 壁穴。中世ファンタジー風民衆。魔術師とドクロ。レンガの分かれ道。異様な老人。
    • 黄金の国の王、狂乱の魔術師、王位継承権

現代日本から始まる場合は、終末ものでも特に要約された世界観説明はない。

近未来ものは現代と変わっている所を説明する場合と、しない場合がある。

登場人物の常識と読者の常識が違う場合、話の解釈が難しくならないタイミングでの説明が必要になる。

ペンの継ぎ方

今まで下書き通りにペンを入れていたのだが、下書きのときに線の途切れ目になるような、線を引きにくい部分からペンを入れていくと、その後きれいに線が継げることに気がついた。
下描き時に切れ目になる部分はようするに線のカーブがきつくなる部分で、ペン入れ時に線を継ぎながらそのカーブの形にするのは至難の業。結果的に何回も消したり描いたりする、汚い線の継ぎ方になっていた。「板タブだからしかたない」と思考停止していたのだと思う。
新しい描き方にしてから、だいぶ線の満足度が上がった。カーブのきついところでも、線がいきいきするのが良い。
考えてみれば当たり前なのだが、12年ほど気がつかなかった……。

線の抑揚の法則

漫画で線画を描き始めて最初まったくわからないのは、線のどこを太くしてどこを細くすればいいのかだ。プロの作品はたいてい抑揚がついているが、その法則性がわからない。

人それぞれ(漫画のジャンルや作風によっても)違うものなので正解を記すことは難しいが、僕が人を描く時の、(入り抜きのある線の)筆運びの法則をメモする。

リズムを作る

漫画の線に抑揚をつける大きな意味は、線を目で追う時にリズム、緩急をつけることにある。したがって「目で見始める部分(基点)」を太く、「目が見終える部分(終点)」を細くする。例えば「肩の線」は「指先の線」より太い。(ほかの法則を無視すれば多くの場合)体幹に近いほうが基点で、遠いほうが終点になる。

描き慣れてくると、このリズムがなくなって間延びして見える領域がわかってくる。そこでまた線をいったん太くして、次の領域を描いていく。例えば腰の線をいったん太くして、膝の上辺りまでじょじょに細くしていく。

日本の漫画で人物は多くの場合、右上から左下に読まれていくので、人物の右上の線を少し太くしてやると読みやすい。反対に左下も心持ち太くしてバランスをとる。必ずしも右上からとは限らず、コマ全体の「視線を誘導したい方向」に合わせて、どこを太くするかを決めて描く。大事なのは見始めるきっかけの部分を作ってやることだ。

目立たせたいものを太く

上と同じ法則から。全体でなく、一部を太くするだけでも目に入りやすくなる。

当然だが、「背景の線」が人物の線よりも平均的に太いと読みにくくなる。背景でのスミベタの入れ方も難しい。スミベタがあると絵に奥行きが出やすいが、読み手のリズムを損なわない位置に入れてやるとよい。

太い線の反対側も太く

たとえば首を描くとき、右側の線を太くしたら左側の線もある程度は太くないとおかしい。腕も脚も同様。体全体も。どこかを太い線で強調したら、その反作用でつられて太くなるべき線がないか探す。

わざと強弱のバランスの差をつくり、躍動感を出すこともできる。

やわらかいところを太く

例えばほっぺたや尻のふくらんだところを太く描くことは多い。反対にふくらんだところを細くして、体のくぼんだ部分の線を太くする方法もある。この場合自然なリズムが出て、絵がきれいにまとまりやすい。好きな作家のいろんな絵を参考に。

重量感を感じさせたい部分を太く

たとえば人をなぐる拳を太い線で描くとか。

近くのほうを太く、大きなものの輪郭は太く、輪郭線は質感の線よりも太く

このように様々な法則がからみあって線の強弱が決められる。最後は自分の感覚で整えていくしかないが、最重要なのはリズムと、絵のどこを見せていきたいかだと思う。

プロの作品を見ても線の法則を読み解きにくいのは、いろいろな法則がブレンドされてひとつの絵になっているからだ。

顔の輪郭線

顔の輪郭は人物の表情に注目させるため、普通すこし太い線がまじっているほうがいい。しかし輪郭をすべて太くすると不自然になってしまう。様々な法則がせめぎあい、作家の個性がよく出る線だ。

僕の描く顔のりんかくは、おでこに近い線を太くし、そこから下へ細くしていき、ほっぺたのふきんで再び太くなり、あごへむけて細くするが、あごの真下の線は少しだけ太く戻す。冷たい表情や、人物をかっこよく見せたいときなどに、ほっぺたのほうを細く書く場合もある。

スミベタにかかる線

スミベタの影を作り、そこをリズムの基点にする方法もよく使われる。首の下や脇の下を黒く塗りつぶし、そこを基点に線を伸ばしていくとリズムが作りやすく立体感も出る。やりすぎると絵が見にくくなるけれど。

また影に近かったり、暗い部分を描く線は、太いほうが自然だ。影トーンをかけると線が見えにくくなるので意識的に太く描く必要もある。

枠線にかかる線

枠線はだいたい人物の主線よりも少し太く設定することが多いのではないかと思う。ここを基点に太い線を引き始めると、絵がベタッとしたかんじになる。枠線に触れる太い線は、触れる寸前のところで少し細くしてやるときれいにまとまる。

抑揚のない線を混ぜる

「抑揚のある線」は基本的に、きれいで見やすい線である。気障りでない線、読み流してかまわない線といってもいい。そういう線で書かれた絵の中に、ミリペンなどで描かれた「抑揚のない線」がまじると目立つ。描き文字の多くがミリペンで描かれるのはそのせいだろう。

目立つというほどでなくとも、人間の目は抑揚のない線を無意識に見分けて違和感をもつ。意識がそこに引かれる。それを利用して、顔の中だけミリペンで描く方法がある。ミリペンのほうが描画の正確性も増すので、そうしている人はけっこういると思う。

僕は目の輪郭や口だけミリペンを使う時がある。瞳やまゆげはきれいな線にしたいので抑揚のあるペンで描いている。

作品全体をミリペンで書く作家もいる。なまなましさがなく垢抜けてポップな作風になるが、上記のような効果が出しにくいし、ミリペンのほうが絵のくずれがシビアに伝わってしまうので、画力が必要になる。抑揚のない線は一見、線の持つ情報量が少ないように感じるが、じつは読み手に対して多くの情報を喚起させるのだ。「気になる線」になりやすい。