「人のマネから入れ」という意見

漫画に限らないが、よく初心者に対して「人のマネから入れ」というアドバイスがある。

だいたい以下のような考えに基づくと思う。

  • 娯楽において真のオリジナリティーなどはそうそうあるものではない
  • 自分が信じている天性のオリジナリティーなどたいしたものでははない
  • 型を手に入れることで、はじめて天性の素質が開花する
  • とにかく作品を描き上げることが大事だ
  • すでにある漫画技術を受け継ぐほうが、早くいいものが作れる

否定はしない。僕は描く前に比べると、漫画論や映画論の本をほんとうに多く読むようになった。人の語る漫画技術の話や、制作の体験談もよく耳を傾ける。人のマネをして自作に取り入れる能力も前より高くなったと思う。

だから否定はしないが、絶対的な意見でもないと思う。

自分自身、描き始める以前はこういう他人のアドバイスが耳に入るのを嫌っていたし、人のいいところを分析して取り入れようともしていなかった。

それは自分の天性の才能が汚されるというようなことではなかった。自分が人生において果たすべきミッション、使命がわからなかったのだ。自分の使命でないことを始めたくなかった。だから漫画を描き出すということからまず、なにをどう描けばいいのかピントが合わなかった。

使命など思い込みである。モラトリアム期を脱して老化し、頭が固くなることだとも言える。しかしそうした狂信こそが作家のすごみであり、使命があるとわかればなにを描けばいいのかおのずと決まる。どんなアドバイスでも耳に入れて、作品を高めずにはいられなくなる。すべてが変わる。

人のマネをしたくない、自分のオリジナリティーを見つけたいという人はまだ、人生の使命を探しているのだ。漫画を描いたり人を楽しませること自体が使命ならばすぐにペンを取れるが、創作というものはしばしばそう都合のいい才能によって作られていない。もっと混沌とした鬱積が、明らかなミッションとなるまでに時間を必要とする。

漫画が描ける自由な時期を失い、タイムアウトになることもあるだろう。ようはなにかを強烈に好きになったり、ほかの可能性を捨てきることができればいいのだが、それは意図的にできるようなものでもない。そもそも描くべきかどうかもわからないのだ。

「人のマネから入れ」は、すでにそうした迷いを抜けつつある、もしくは初めから漫画を描くこと自体が使命となっている人向けのアドバイスであると思う。またそういうアドバイスを送る側が、そのことに自覚的でない場合が多いように思う。

マネから入れと言う前に「漫画を描く以外の体験から、自分の使命を見つけるほうが先だ」というアドバイスを送るべきときもある。べつに漫画を描けないまま死んだっていいのだ。