喜劇の絵と悲劇の絵のタッチ

しばらくコメディっぽい話を描いていたら、ドラマパートに入ってまったく筆がのらなくなってしまった。前は描けたのに、どうしてもちょっと笑ってしまうような、間の抜けたシリアスシーンになってしまう。

デフォルメの問題か、構図かなどと悩んでいたが、どうやらタッチの問題だ。そして引く線の選び方や筆の運びが喜劇と悲劇で違うのだ。

ギャグやコメディはテンポが重要なので、なにが描かれているのか誰でも一瞬でわかるような絵が基本だ。それができてこそ、テンポがきびきびしてくるのだが、そういう絵がシリアスシーンに合わない。

ドラマは感情をゆさぶるのが目的だ。かっちりと破綻なく描かれていて、読み手に違和感を感じさせない絵では、感情は安定してしまいゆさぶられることがない。

もちろん、読み手が顔をしかめるような読み辛さを言っているのではない。ほんの一瞬、無意識がその絵を解釈するのに時間を要するといった意味での読み辛さだ。例えば「夏目友人帳」で、黒いシミのような何かにきちんと目をやるとじつは一つ目の妖怪だったりしてびくっとさせられる。それはすごく分かりやすい例で、ここで言いたいのはもっと微妙な場合が多い。人物の腕の線が、ほんのちょっと肩につながっていない(しかし絵の解釈としては別に肩が外れているわけではない)とき、そこにはほんの少しの分かりづらさがある。

「省略」「崩し」「サラサラ描き」「予想外のデフォルメ」といった技法が、ちょっとずつ読み手の心をゆさぶる。それがシリアスの基調を作る。描き手が常に先手を取るような形でストーリーが進む。

正直にきっちり描くのではなく、斜にかまえて予想外のラインを見つけ、わかりやすさのギリギリの線をつくような線を引いていくのだ。奔放と言ってもいい。読み手に解釈する楽しみを与えながら、時にドキリとする方法で情報伝達していく。ある種の不真面目さが、センシティブな表現につながっていく。余韻も残る。

どちらが難しいかと言えば、きっちりした描写がいつも求められるコメディタッチのほうではないかと思う。しかし、シリアスなタッチは感覚を忘れるとまるで描けなくなってしまう。きびきびした滑稽な作画になってしまうのだ。