キャラクターとは〜性格の設定

今まで、キャラクター作りというものを、勘違いしていたかもしれない。もともとキャラクターとは「文字」「記号」であり、漫画では図像となる。作品の中で複数のコマに渡って同一の物として登場する記号、図像の格(多くは人格)こそがキャラクターだ。(参考:【漫画論】「キャラ・コマ・言葉」という分類には、どんな意味があるのか - ピアノ・ファイア

僕はキャラクターを音楽で言うと「パート」「トラック」「演奏者」のようなものだと考えていた。だが、音楽と漫画では記憶の残り方が違う。漫画ではストーリーや背景に関する記憶は抜け落ちて、キャラだけ覚えていることが多い。音楽はあまりそうはならない。漫画でキャラが重視される所以だ。また訴求力、作品の要約の焦点になること、感情移入と誘導、さまざまな点で、キャラ作りはとにかく重要な作業だ。

そこでキャラの絵を描き、身体的特徴、社会的立場、目標などを設定し、性格の設定を……となる。

これが間違いだ。「性格」は特に設定する必要はない。キャラクターの記憶の残り方を考えれば、意識的に構築すべきなのは外見や名前、つまり「外側」なのだ。性格を表す仕草やクセは、外側に含まれる。そのキャラクターが持っている行動原理や記憶は、直感に反して、物語の都合で形作られて良い。

話の役割によって、最初から大まかな性格は決まってしまうかもしれない。しかし、話が進むに連れてキャラの多面的な性格が引き出されていくことも普通だ。むしろ「これだけはやらないだろう」と読者が承知していること以外、なんでもありになっているようなキャラが大スターと言えるのではないか。ただ「本当になんでもあり」だと読者が次の展開を期待できず、キャラが立っていないのと同じ事になってしまうだろうが。

多くの有名キャラクターを生んだ藤子F先生は、作品タイトルのほとんどが主人公の名前で、しかもしばしば「21(世紀)」と「エモン(右衛門)」をくっつけて「21エモン」のように、ギャップのある言葉をつなげて端的に作品内容(で行われている異化)を表すという、情報集約の達人だった。

そして連載が長期に渡るにつれ、キャラクターは複雑な性格を見せていく。泣きつくのび太ドラえもんがどう対処するか、だいたい期待されるパターンはあるものの、実際には非常に幅のある展開がある。ドラえもんは幼稚であったり哲学的であったり、簡単に「設定」できるような性格ではない。

読者が「なんとなく期待する展開」を持てないキャラはキャラが立っていないから、ドラえもんはその面ではきちんと機能しつつも、後の性格については可能な限りの冗長性を持たされているか、または特に設定されていないのではないかと思える。

「性格」や「行動原理」を固定してしまうと、後のストーリー展開の大きな制約となる。少なくとも長編のキャラは、なんらかのエピソードにより性格が変化する余地を残しておいた方が良いだろう。

これはテーマとキャラクターがあって、キャラがうまくテーマに向かってくれないとき、テーマ性をあきらめるのではなく、軌道を修正するための予防策にもなるのではないか。もちろんテーマ重視にしろキャラクター重視にしろ、面白さがあっての事だが。